村上華岳、入江波光、冨田溪仙、浅井忠、須田国太郎、村山槐多、鳥海青児、長谷川潔、駒井哲郎 等、近代日本の洋画、日本画、版画 奈良市の美術館

公益財団法人 中野美術館
〒631-0033 奈良市あやめ池南9丁目946-2
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所蔵品のご案内

日本画

村上華岳は、所蔵点数43点で、コレクターが最も魅了された作家です。
入江波光、土田麦僊、榊原紫峰など国画創作協会会員の作品が多数を占め、華岳の中国列仙伝16点は貴重な作品です。その他に、富岡鉄斎、横山大観、冨田溪仙、小林古径、徳岡神泉など近代日本の巨匠たちの作品を収蔵しています。

洋画

須田国太郎を中心に、青木繁、萬鉄五郎、中村彝、岸田劉生、小出楢重、古賀春江、村山槐多、三岸好太郎、熊谷守一、松本竣介など異色の個性派画家や、浅井忠、久米桂一郎、藤田嗣治、国吉康雄、中川一政、梅原龍三郎、鳥海青児などの近代を代表する画家の作品を収蔵しています。

版画

長谷川潔、駒井哲郎、浜口陽三の銅版画や、恩地孝四郎、清宮質文の木版画など近現代を代表する版画家の作品を収蔵しています。

彫刻

高村光雲の木彫と佐藤忠良のブロンズを収蔵しています。

作家紹介

日本画
冨田 溪仙(とみた・けいせん)
明治12年~昭和11年(1879~1936)
明治12年福岡県博多に生まれる。
明治29年京都に出て都路華香に師事し、四条派に学ぶ。明治42年台湾・南清を旅行する。大正元年、第6回文展に《鵜船》が入選。
横山大観に認められ、大正3年再興日本美術院展に出品し、以降院展同人となる。
禅など仏教をはじめとする宗教研究、仙厓の研究につとめ、フランスの象徴派詩人ポール・クローデルとも交流を深めた。
昭和10年帝国美術院会員となるが、翌11年自宅にて急逝。(享年57歳) 冨田 溪仙「鵜飼」
《鵜飼》大正8(1919)年頃
日本画
入江 波光(いりえ・はこう)
明治20年~昭和23年(1887~1948)
明治20年京都に生まれる。
四条派の森本東閣について絵を学び、京都美術工芸学校、京都絵画専門学校を卒業。村上華岳、榊原紫峰が新しい日本画の創造を求めて結成した 国画創作協会に所属し、大正11年~12年にかけて欧州を旅行し、古代ローマのフレスコ画やイタリア中世のルネサンス絵画に感銘を受けた。昭和3年の国画創作協会解散後、 画壇から離れ、京都市絵画専門学校教授として後進の指導にあたるとともに、晩年は、法隆寺金堂壁画などの古社寺の壁画等の模写に専念した。昭和23年逝去。(享年60歳) 入江 波光「朝に遊ぶ子」
《朝に遊ぶ子》昭和2(1927)年頃
日本画
村上 華岳(むらかみ・かがく)
明治21年~昭和14年(1888~1939)
明治21年大阪に生まれる。
京都美術工芸学校、京都絵画専門学校卒業。
円山四条派の流れを汲む画風を学び、文展に出展していたが、大正7年、土田麦僊、榊原紫峰、小野竹喬らと国画創作協会を結成、新日本画運動を推進し、個性的な作品を数多く発表したが、昭和3年同協会解散後は、神戸に隠棲して画壇との交渉を絶ち、喘息に悩みつつも、きびしい内省と精進を続け、宗教的香気のする精神性の高い作品を描き続けた。
昭和14年、神戸花隈の自宅にて逝去。(享年52歳) 村上 華岳「張果」「聶師道」
列仙伝 左《張果》大正4(1915)年 右《聶師道》大正4(1915)年
洋 画
浅井 忠(あさい・ちゅう)
安政3年~明治40年(1856~1907)
佐倉藩の江戸屋敷に生まれる。
明治9年イギリス帰りの国沢新九郎の画塾影技堂に入って洋画を学び、さらに、まもなく創設された工部美術学校に入学してフォンタネージに師事する。明治11年フォンタネージの帰国により同校を退学。 明治22年「明治美術会」の創設に加わり《春畝》(1889)《収穫》(1890)などの代表作を発表。《秋郊》(1890)は一連の作品。明治33年のパリ万国博を機に渡仏し、《グレーの秋》などの名作群を生む。帰国後は、京都高等工芸学校の教授となり京都洋画界の発展に尽くした。明治40年京都で死去。(享年52歳) 浅井 忠「秋郊」
《秋郊》明治23(1890)年頃
洋 画
須田 国太郎(すだ・くにたろう)
明治24年~昭和36年(1891~1961)
明治24年京都市に生まれる。
京都帝国大学哲学科で美学、美術史を研究し、関西美術院でデッサンを学んで、大正8年渡欧。主としてスペインを拠点に、ヴェツィア派からバロック絵画を研究し大正12年に帰国。昭和9年独立美術協会に入会し、以来本格的な作家活動に入り、東洋の深い精神性に根ざした独自の日本の油彩画を確立した。
戦後は、いくつかの大学で美術史の講義を行い、昭和25年京都市立美術大学の教授となる。
昭和36年京都大学病院にて逝去。(享年70歳) 須田 国太郎「夏の午後」
《夏の午後》昭和8(1933)年頃
洋 画
村山 槐多(むらやま・かいた)
明治29年~大正8年(1896~1919)
愛知県岡崎市に生まれる。
幼少期を京都で過ごし、大正3年京都府立第一中学校を卒業して上京、強い影響を受けた従兄山本鼎の斡旋で、小杉未醒の邸内に寄寓。日本美術院研究所に学び、二科会展にも入選するが、主に日本美術院展に出品して院友となる。 ボードレールやマルラメ、ランボーなどを耽読し、情熱的でデカダンな心情を強烈な色彩でフォービックに表現した。
最後の力を振り絞って描いた《松の群》(1918)を第5回日本美術院試作展に出品し美術院賞乙賞を受けるが、スペイン風邪による結核性肺炎のため夭折。(享年22歳) 村山 槐多「松の群」
《松の群》大正7(1918)年
洋 画
鳥海 青児(ちょうかい・せいじ)
明治35年~昭和47年(1902~1972)
明治35年神奈川県に生まれる。
関西大学経済学部卒業。在学中から油絵を学び、春陽会に出品して、昭和3年、4年、連続春陽会賞を受賞。昭和5年~8年まで渡欧し、春陽会会員となるが、同18年独立美術協会会員となる。渡欧中は、スペインやアルジェリアに旅行し、ゴヤやレンブラントの影響を受ける。また、後には、インドやエジブト、中国、中南米に取材した制作も行った。絵の具に砂を混ぜ、塗り重ねては削り取る独特のマチエールによる作品を発表して注目された。昭和47年東京にて死去。(享年70歳) 鳥海 青児「大理石を運ぶ男」
《大理石を運ぶ男》昭和33(1958)年
版 画
長谷川 潔(はせがわ・きよし)
明治24年~昭和55年(1891~1980)
明治24年横浜市に生まれる。
葵橋洋画研究所と本郷洋画研究所でデッサンを学ぶ。大正2年頃から独自の創作版画の制作を始め、大正5年永瀬義郎らと日本版画倶楽部を結成。大正7年渡仏。大正13年、ソシエテ・デ・パントル・グラヴール・アンデパンダンの会員になるとともに、古典的銅版画技法マニエール・ノワールを復活させた。生涯フランスにとどまり、西洋的合理主義と東洋的精神を融合させた、独自の美的世界を開拓した。昭和41 (1966) 年フランス文化勲章を受章。昭和55 (1980) 年パリにて死去。(享年89歳) 長谷川 潔「時 静物画」
《時 静物画》昭和44(1969)年
版 画
駒井 哲郎(こまい・てつろう)
大正9~昭和51年(1920~1976)
大正9年東京に生まれる。
昭和10年、日本エッチイング研究所で西田武雄に師事し銅版画を始める。東京美術学校西洋画科を卒業。昭和26 (1951) 年、《束の間の幻影》が、第1回サンパウロ・ビエンナーレでコロニー賞を受賞。昭和29~30年パリに留学し、銅版画技法を深め長谷川潔を訪れる。腐蝕技法をはじめとする多様な技法により、詩情豊かな作品を発表する一方、多摩美術大学、東京芸術大学で後進の育成に努めた。
昭和51(1976)年国立がんセンターにて死去。(享年56歳)
《束の間の幻影》昭和26(1951)年

図録

村上華岳展
村上華岳展 40ページ B5判 43作品掲載
序文:川北倫明  解説:島田康寛
価格:1,000円
須田国太郎・鳥海青児展
須田国太郎・鳥海青児展 32ページ B5判 24作品掲載
序文:島田康寛
価格:1,000円
入江波光展
入江波光展 32ページ B5判 20作品掲載
序文:田中日佐夫
価格:1,000円
村上華岳・須田国太郎展
村上華岳・須田国太郎展 48ページ B5判 42作品掲載
序文:川北倫明、秦 恒平
解説:島田康寛
価格:1,000円
長谷川潔・駒井哲郎
長谷川潔・駒井哲郎 36ページ 15×14.8cm 25作品掲載
解説:島田康寛
価格:300円
中野美術館作品選
中野美術館作品選 146ページ A4判 157作品掲載
解説:島田康寛、熊田 司
価格:2,000円
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